Choose life

わたしが日記で

書いてることを

突き詰めれば

大体は同じことのような

気がするけど

それでも自分自身が

やっぱり…‼︎

そうなんだ…‼︎って

その度にハッとしたり

ワクワクしたりして

書いています

何か大切なことに

気がついた気になって

書いてるし

この表現ならば

伝わるかもと思ってる

誰かの重たい心を

晴らすことができるかも

と思ったりもする

「好きなことをする」

「ワクワクする」

「直感に従う」

昔、書いていた時は

自分へのエールだったけど

今は確信を込めて

いたりもする

だけど、

昔より慎重になる

部分もあって

書き始めてる間に

身近で起こった事を思うと

数日前に書いた

前向きなはずの言葉が

誰かの心を

エグるかもしれないと

思う時があった

そうか…

これほどの出来事の前には

この言葉は

優しくないんだと気づく

考え出したら

キリがないのもわかってる

誰が何を抱えているかで

変わってしまう…

わたしの言葉を

書いた紙切れに

オイルが染み込んだとして…

誰かの持ってる

タバコの先にくっつけば

あっという間に

紙はメラメラ燃えあがる

その火で火傷する

ことも、あるだろう…

良くも悪くも

その人に火がつかなきゃ

記号のように通過するだけ

例え賢者の教えに

気づきを得ても

日常に戻ってからが

腕の見せどころ

どんな時も

どんな状態の自分でも

どんな人に出会っても

その言葉で

ハッと目が醒めた時の

自分に戻れないならば

やっぱり

「忘れてる」ってことだと思う

気づいたからといって

いつもできる

わけじゃない

色々な経験をして

悟ったような気になっても

その後に打ちのめされて

その時の自分なんて

どこかへ葬られる

ってことを何度も

繰り返してきた気がする

なんて厄介な時代なんだ…

だけど、今が一番、

この国で「生きてる」って

感じてるかもしれない

わたしはインドに

一人旅をした時

ここでは

どれだけ自己主張をしても

足りない…!と思った

たくさんのインド人と

イスラエル人の中

語学の問題もあって

思うように話せず

自分が子供のように思えた

反応せず(反応できず)

あれやこれや

自問自答しながらも

一部始終を見守ってる

そうか…とひらめく

そこにいるようで

いないような

思いは胸に秘めたまま

瞑想中のよう

とりあえずの相槌も

気づかいの言葉もない

たまに口を開けば

四方八方から反応がきて

一言が大ごとになり

瞬間の選択が

その先の未来を変える

毎日が全力で過ぎて

生きてる…って感じがした

ここでなら…

ここでやってやる!

そう思って

日本に帰って

むこうでのあれこれを話し

インドに住むと言うと

今までされたことのない

種類の説教を

色々な人にされた

ほとんどは

しっかりしろ的なもので

………!?

ここは、清潔だけど

全然美しくない

正しいかもしれないけど

面白くない

自分の居場所が

不自然に思えて

違和感がフツフツと

湧いてきた

だけど結局、

すべては自分次第

全部自分で選んだこと…

インドに戻るのを諦めて

打ちのめされた

一年くらいして

3.11が起きた

当時は「3.11」なんて

思うツボって感じの言い方が

大キライだったのに

いつのまにか、慣れて…

自分の心を置き去りにして

どうでもいいことが

大事なことのように

扱われるこの国

気づいたって

なかなかできないんだから

人の目を気にしてる

場合じゃない

そんなものは

理屈じゃないんだ

究極を試されてるし

これはチャンスだと

思うことにした

どんなことだって

心の在り方で

道は開けるだろう

瞬間、瞬間

今を、この先の未来を

選んでる…

さっきムカついたこと

苦手な整理整頓

毎日の買い物に

言葉一つでさえも

日常が不満だらけならば

まだ伸びしろが

あるってことかもしれない

自分の落としどころが

わからなければ

意味がない

アンテナのような

触覚のような何かが

つながる先…

つながる瞬間がある

それをきっと

粗末にし過ぎてるから

それをもっと感じたい

余計な刷り込みを

捨て去って

すべてを忘れて

空っぽになって

それをキャッチする

もしも、今の人生が

死ぬほど、

つまらなければ

思い切って

やっちゃうことかもしれない

選ぶより先に

やめることかもしれない

「好き」の代わりに

苦しみを手放すこと

かもしれない

その時、何をするかは

その時にしかわからない

Choose life

Choose a job

Choose a career

Choose a family

Choose a fucking big television

Choose washing machines, cars,

Compact disc players,

and electrical tin openers.

Choose good health,

low cholesterol And dental insurance.

Choose fixed-interest mortgage repayments.

Choose a starter home.

Choose your friends.

Choose leisure wear and matching luggage.

Choose a three piece suite on hire purchase

In a range of fucking fabrics.

Choose DIY and wondering who you

Are on a Sunday morning.

1996 “Trainspotting”

続編はまだ見てないけど

11年の月日で

どうなったのか…

わたしは、11年経って

レンタルまで

待てるようになったぞ

映画のセリフを引っ張ろうと

ブログを見つけた

おもしろい…

http://biggerlive.com/?p=226

わたしは昔、DJになりたかった

こないだ近所のスーパーに

向かって車を走らせて

 

 

左手に見える

夕陽を見ながら

 


すごい久しぶりに

underworld の

rezを聴いたら泣けてきて

 


昔はよく泣いてたけど

最近泣かなくなったな

とか思った

 


その時に

DJがしたい…と思った

 


アナログで

ピッチを合わせることも

デジタルのやり方も

できないけど

 


わたしはもっとこの街を楽しく

できる気がするよ

 


お願いだから

私たちのくらしから

エモーショナルを

奪わないでほしい

 


ナンセンスだよ

J◯SR◯Cは

 


◯◯ 隊も

◯◯わりさんも

おっさんも

権力者も

常識人も

 


つまんないことを

言わないでくれれば

 


◯健所も

◯◯権と

名のつくもの



私たちから

時間を奪わないでほしい

 


◯◯わりさんは

 

もっと街の人たち

近所のおばちゃん

おじいちゃん

おばあちゃん

子供から女子高生にまで

 


慕われるような

 


愛されるような

 


人生相談されるくらいに

なってほしい

  


わたしは知ってる

頑張ってない人なんて

いないんだよ

 


これ以上いじめないでくれよ

 


これ以上楽しみを奪わないで

 


これ以上、

私たちからやる気を

奪わないでくれよ

 


わたしたちから音楽や

 


歌うことや、踊ること

 


人生を楽しむことを奪わないで!

 


えらい人よ


私たちから

健やかな心や体を

奪わないで

 


人や神や自分を

信じる心を

奪わないで!



わたしは昔

DJになりたかった

 


そこらのB-boyには

負けないって思ってた

 

dancerも素敵

rapperもかっこいい

  

 

だけど、

DJ, rapper, dancer

のどれかならば

 


DJだと言っていた

 


わたしはfrank oceanが

好きなんだけど 


ある日、ラジオから

流れてきた

super rich kids

 


さっきblondってアルバムの

self controlって曲を

聴いてた

 

https://m.youtube.com/watch?v=i3TJwEx1wLY


昔、わたしがDJに

憧れてた時代は

 


女の子DJなんて

数えるほどしかいなくて 



人見知りで

ハンパにクラブ事情を知った

わたしは



DJをする前に

ターンテーブルを

買うことすらも諦めた

 


ビンボーだったし

妙に慎重で

  


その頃の自分に…

もしも会ったら

言いたいよ!


 


買っちゃえよ!

デビューしちゃいなよ!

 


色々教えてあげたいことがある

 


でも後悔はしてない

今の人生も

まぁまぁ、気に入ってます

 


それにこれから

どうなるかなんて

わかんないし

この熱も冷めるかもしれない 

 


だからこれ以上

自由を奪わないでよ

メッセージ

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一昨日は

旅モードで浮かれてしまい

神だの仏だの

連発してしまいました。 

 


でも思い返せば

わたしの心に残る旅はいつも、

神さまのことを思う気がします。

 


あの柴犬は私たちの前を

先導するように走ったり

後ろを追いかけてきて

 


一度だけ「ワン」と言って

林道の前で止まりました

 


車を止めると

私たちがついてくるのを

確認しながら林に入ってく…



その時、息子は寝ていて

息子を車に残したまま

林を登って行きました

 


胸の内で大丈夫だと

わかっていたから…



どこに行くのかと思うと

四方、高くのびた

杉に囲まれたところで  

犬は立ち止まる

 

 

確かにいい景色だな…

わたしはそこで深呼吸をして

この景色を楽しめってことかな?

などと思ったりしながら

 

 

また先に進み出した犬に

ついて行った

少しして、旦那さんは

「ここまでだな」と言って立ち止まり

 


わたしもその時同じく、

息子の元に戻りたい、

と思った…以心伝心! 


 

犬は私たちに

おとなしくついてくる 

 


旦那さんはどんどん先を行き

わたしがゆっくりついてくと

わたしが追いつくまで、

待っててくれてる

 



首輪はあるけどリールはない

しつけというか

礼儀をわきまえた

賢くて優しい犬



車に戻り、「もう帰るね」と

お別れをして車を出した。

 


ついてきてないと思い

スピードをあげる

 


「いなくなった?」

「いなくなったね…」


 


「いや、ついて来てる…」

 


真後ろについて走ってる…

危ないよ…!

どうすればいい?



再び、車を止める

息子も目を覚ました 

 


降りて近づくと

走りすぎたからか

爪の間から血が出てる…

痛そうに少しヨロつく

 



旦那さんに言われて

さっき、汲んできたばかりの

湧き水をあげると

 


あっという間に飲んで

ハッハッと舌をたらしながら座ってる

たくさん走ってきたもんね…

 



わたしの持ってる温熱療法で

傷口に薬草の煙をかけてあげた

 

 

どうすればいいの?

もうこれは連れて行けってこと?

旦那さんは戸惑ってる…


 


何度かドアを開けて

「乗る?」「乗っていいよ」

「おいで!」と言っても

乗ろうとはしない。

休んでるのか、動けないのか…



 

「これで車を出して、

ついてきたら連れて行こう…」

 



車を出すとついてくる…

車を止める

抱き上げると抵抗しない

車に乗せて、出発した

 

 


え〜ほんとに!?

これは連れて行けってこと??

この子飼うの?

 

 

私たちはある目的地に

向かっていたけど

ナビのルートから

いつのまにか外れていた

 



携帯は圏外だし

ガソリンは1メモリ…

このまま進むか、否か。

そこにあの犬は現れた

 



「飼い主がいるかもしれないから

道を引き返して、

途中あった民家の方に行ってみよう」



たぶん、1時間近く

一緒にいたかもしれない

わたしたちの服や車のシートには

血のシミがついた

 


わたしは乗せた時点で

飼うと覚悟してた

次は黒猫だと思ってたけどね…


 

窓から顔を出して

いい子にしてる

旦那さんは

名前まで考えちゃって




途中、どうもソワソワするから

車を止めると一度目はウン◯

 


まるで飼ってるかのように

「〇〇〜」なんて呼んでる

自分に違和感…


 


二度目のソワソワで

人気のある民家の前に降りてから

ついて来なくなった

 


あれはなんだったんだろう

すごく不思議だった

 


連れてこうと言った時

一番戸惑っていたのに

一番引っ張ったのは旦那さん

 



かなりの距離を引き返して

一度探しに戻ったけど

もういなかった…


 


わたしと息子は

あっという間に

飼う気になったけど

民家の近くで

ついて来なくなると

スーッと心は離れていった…


 


あの出来事がなんだったのか

わからないけど 


 

旦那さんはその出発の時

「今日はなんかいい予感がする」

と言っていた

 


そんなことを言うのは

すごく珍しい


 

その犬が現れるまでの間

旦那さんのプランにある

目的地に向かいながら

 


「ここ降りたい!」

「ちょっと、止めてくれる?」

と何度も車を止めては

 



無謀な道を入ろうとしたり

自生の多肉植物や

岩の段層の写真を撮ったり

 


湧き水を見つけて、

バックで戻ってもらったり…

 


予定通りになかなか

進ませてくれない

私たちに段々苛立っていた 

 

 


だけど、そんな風にして

湧き水を見つけて

水を汲んでみたりしてるうちに

美しい川を見つけた


  

その川の水は

澄み渡りキラキラ輝いている

 


メタリックに光る石とか

半透明な白い石とか

珍しい石がそこらじゅうにあって…

 


私も息子もその川が

すっかり気に入った。 

 



お母さんの作ったポテトサラダと

昨日、わたしの作ったカレーを

サンドイッチにして

食べてもいいな、と思ったけど

 


 

旦那さんのオーラが

ピリピリしてる…

この空気に負けると

言いたいことを飲み込んでしまう

その後、反動でキレる…


 

ここで落とし所を

探さなければキムチの二の舞だ



「今目の前に、見たこともないような

きれいな川があるのに

イライラするなんてもったいないよ。」 

 


「どうしても決めた予定通りに

動かなきゃならないの?」

  


「……。」

 


 「この時間を楽しもうよ

ここでサンドイッチ食べたら美味しいよ」

 

 

渓流に沿って車は走らせ

景色を眺めていると

ピン!と偶然見つけた脇道

 


「ここ気になる!

ちょっと止めてくれる?」

 


降りていくと

想像以上にきれいな川で

誰もいないけど

小屋があって、小屋の前には鳥居がある



川の前には

ストーンバランシングというらしい

やつが三つもあった


 


わたしの思う好きな旅は

予定はボンヤリと決めて

あとは直感に従って動く

 



そうすると、

それは、それは、不思議な…


笑っちゃうくらいの、

追い風が吹いてくる…

 



これこそが楽しい

ハプニングが楽しい




予定通りに進みたいのは

旦那さんだけだよ…

今や息子も存在感を増して

二対一という感じ



「好きにして…」イライラ

 


少し前なら、この場で喧嘩してる

この空気に耐えかねて、

わたしからケンカを売ってしまう… 

 


でも、旦那さんの気持ちも

よくよくわかる…

だから、それ以上の説得はやめた。

  

 


わたしの親は

わたしと兄が生まれる前に

脱サラをして、

約2年、ヒッピーのように

ヨーロッパやインドを旅していた



母はドレスを持って

フランスで合流し

結婚式はスイスで挙げた

なんてロマンチックなんだ

 



母は帰国し、父はインドに行き

兄がお腹に宿り

父は旅をあきらめた




わたしたちを育てる為に

再びサラリーマンになって

転職を繰り返し、

大学、短大にまで行かせてくれた


 


そういう親だから

小さい頃はよく

多摩川に連れて行かれた

連休はよくキャンプをしたし

 



タクシーを貸し切って

京都、奈良を回ったり

レンタカーで四国を一周したり

従兄弟とみんなで

パンツ一丁で川で遊んだり

 


 

だけど、四国一周の旅は

ひどい車酔いで吐きまくり

 


厳しい父の前では

いつもどこか緊張がとけず

 


都会育ちのませたわたしは

川遊びや神社仏閣に

夢中になれなかった

 



だけど今、

親の辿ってきた道や

あの頃の何かが

自分に蓄積されてるような…

蓄積されているのだと思った

 



その前日はしまなみに行き

アウトドアカレーを作ろうと

道の駅で野菜を買い

 


その隙に息子は

オムそばの屋台の前から

動かなくなり

 


「お母さん、ちょっと待って…!

これからカレーを食べるって

お父さんから聞いたんだけど…」

 



「せっかく来てくれたから」笑顔

タダでミニオムそばを

プレゼントされた。

奇跡だ…✨


 



旦那さんは

母の美味しいご飯を

前の晩も、その朝も

しっかり食べ過ぎて

お昼どきに食欲がない

 



息子もオムそばで満足気味

炎天下の下、怒りながら

一人でカレーを作った

 


黙々と野菜を切って炒めて

ホールトマトを手でにぎり潰して

(銀座のカフェレストランで教わった)

もう、ただの意地…

 



予定通りに

進むだけでは味わえない

 



一瞬の判断や躊躇で

その時は二度と訪れない

型にハマってはおもしろくない

 

 


一人旅をして

初めてこの感覚を味わった

どちらがいいかは

旅の目的や良し悪しだけど




人数が多いほど

遠慮が生まれやすく

心のままに進むのは難しい

 



だけど私たちは家族だ!

家族はチームだ!

この旅でよくわかったのは

全員、協調性がない…!!

 



たぶん3人とも空気は

かなり読めるのだけど

家族で行動すると

激しく調和がとれない

 



今まで、これでもかってほど

激しい感情をぶつけてきたし

下手な遠慮をして

いい結果になったことはない 

   

 


落とし所はどこだろう…?

ここで喧嘩をしたら

すべてが台無しだと思える

 


そう思える

冷静さがあったから

これはわたしにかかってる…


 


息子が一人で入っても

安心して遊べる川

おたまじゃくしを

手ですくい興奮して

あっという間に

川遊びに没頭してる


 


見たこともないような

きれいだったり不思議な石

旦那さんも石に見とれてる

  


冷たい水に足を入れてみたり

石の上に座ってみたり

そこで瞑想してみたり…

でもこれ以上集中できない

 



だから、帰ることにした

その後に犬は現れた

 


 

あの犬が来て、去ってから、

旦那さんは明らかに変わった

もう予定通りに

進もうとしなくなった

 



その後見つけた温泉に

わたしと息子が入り

その間に旦那さんは

そこで教えてもらった場所に

ガソリンを入れてきてくれた

 


温泉で話したおばちゃんは

県外から来ている

色々行くけど、ここが一番いい

 



初めは湧き水を汲みに来ていた

そこの水は半年たっても腐らない

と言われて、実験したけど

ほんとに大丈夫だった

 

 

さっき汲んできた

湧き水のことだった✨

 


飼い主には会えたのかな?

最初の杉林は人の手が入ってたな

あの犬との出会いで車を引き返したな

 

 

思い返すと、不思議に満ちていて

いろんな憶測が頭をよぎるけど 

あの犬からわたしが

受け取ったメッセージは

 



予定通りになんて行かないよ

流れに任せろよ

起こることを楽しめよ

ゆっくり行こうよ

たまには休憩しろよ

自然を守ってくれよ

生き物を大切にしろよ

そのうち動物と暮らすかもよ

ちゃんと体力つけとけよ

たまには自然の中を歩けよ

過ぎたことは過ぎたこと

来るもの拒まず去るもの追わず



すべてのことは〜♪

…メッセ〜ジ〜♫

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落としどころ

息子は最近、ダンゴ虫ブームです

   


途中寄った、

大型ショッピングモールを見て

「J子、ここ東京?」と言い 


 


ふ…笑

去年、一緒に渋谷とか

行ったよね… 

 


とわたしは思い、

田舎の子に育ったなと

思うわけですが

 


もっと逞しくなってほしいと

思うこともシバシバ

なんか習わせようかなと思ったり

してます。

 


この前、映画を見てたら

渋谷がうつり、

「20分だけ渋谷とか行きたい」

と旦那さんが珍しく言ってました、

  


それならば、

わたしは最低、

3日は行きたい!


 


久しぶりの

お母さんのごはんも

楽しみだけど、 

 


いつもお世話してくれ過ぎて

申し訳ないし

   


ゆっくり下道から

寄り道して向かうので

いつ着けるかもわからないし

 


都会と違って、

美味しいごはん屋さんを

見つけるのは至難の技

 


お金もかかるし

外食続くと疲れるし

  


食材買えばOK

ガスで使えるホットプレートを

持参して、

調味料やら色々積み込んで、 


炊いたごはんも、

移し替えるの面倒だねって

圧力鍋ごと

積み込んで出発🚗

   


途中、息子が

うるさくなってきたので、

食材買う間もなく

良さそうな公園に降りて


かろうじて寄れた

道の駅で買ったちりめんを

ごはんにかけて食べました。 

 

 

あんなに用意したのに

(まだ後で活躍するのだけど)

朝も食べてないのに

ここまで来て、

ちりめんごはん…


「やっぱ外で食べると美味しいね〜」

 


外で食べると美味しいねってのは

ウソだって誰かが理屈をこねてたけど 

ちりめんごはんでも

やっぱ、なんか美味しいよね

 


でも、その時わたしは…

さっきの道の駅で

キムチを買おうとして

旦那さんに見せたら

  


「え、匂い気にならない?

ちりめんだけでいいよ」って

言われて、 

 


………。 

納得しないまま

キムチを戻していて、


 


そのことが今になって、

「え、匂いが気になる??

匂いって、、、

食べたあとの自分の匂い?

それとも車の匂い? 」.

 


 

そんなもん、

歯を磨けばいいし、

車には密閉容器もあるし!

でも今さらすぎる…

 


旦那さんに、

なんとなく、相談して

なんとなく、返ってきたことに従うと

自分が思った通りにすれば良かったと

だいたい思う

  


最後の決断は

自分が腑に落ちないまま

決めてはいけないと

これまで何度も何度も

思ってきたのに…

 


これを今一度、

心に深く刻もうと

インドの旅のことまで

思い出して、

 

 

ここにキムチがあったら…って

食べきるまで

あの一瞬のよくわからない

言葉で引き下がった自分と

もっと美味しく

食べられたかもしれないという

ことを悔やみまくってました…

 


最近、小学校の同級生に

質問されてから

わたしの思う愛について

考えてみた…


 

その答えは「調和」

「調和」は

相手の「こうしたい」と

わたしの「こうしたい」の

「落としどころ」

 


その「落としどころ」を

うやむやなまま、

キムチを戻したから

こうなったのか…


 

旦那さんに八つ当たりする

今この瞬間に愛を取り戻すには?

「調和」や「落としどころ」は

なんなのか?と思うと

 


ひとしきりぶつけること、でした。

だって誕生日だし😀

 

 


わたしの大好きな

まぁ坊豆腐のむぅちゃんのケーキを

旦那さんが買って来くれたり

(これは快挙🍰✨)

 


 

お母さんのおいしい手料理が

食べられて幸せな誕生日でした✨

 


わたしって

なんも変わってないのかなぁと

思うこともあれば、


 

自分の誕生日のことを

昔のように

周りに宣伝しなくなったり、

 


誕生日までに

なんかしようとか

せめてあれだけはとか

まったく思わない

力が抜けすぎた誕生日で


 

色々なことがありがたいと

思えるようになりました

少しは大人になったかな

時間と神様

この国は、

「時間と神様」を奪われてしまった

んじゃないかと思う

 


それを「愛と平和」って

言い方もできるけど、

今はもう少し具体的な話がしたい

 


どうして今だに癌患者や鬱病、

自殺者が増え続けるのだろう? 

 


夏目漱石の「こころ」を読んだとき(遠い昔)

昔の映画や、ドラマを観たとき

自分の親世代、おばあちゃん世代


 

なんでこんなにも違うんだろう…

と思っていた

 


戦争に負けた

欧米化され過ぎた

便利になり過ぎた

たぶん、どれも正解なんだろう


 

わたしは長い間

食と精神を結びつけて

考えていたけど

 


それはまちがいなく、

確実に、影響があるし

食はとても重要

 


だけど…

どんなに健康的な食生活でも

美しい自然の中にいても

 


経済的に豊かでも

健康な体を持っていても

 


それだけでは

愛と平和は手に入らないのかもしれない

 


時間の捉え方は十人十色

いつの世も母親は

忙しいものかもしれない 



でも、流れる時間の何かが違う

ような気がする 

 


時間があればいいと

いうわけでもないけど



心を亡くす、忙しさ、は

どんな善人の心をも飲み込む…

何度もそれを見てきた



デジタル化が進み、すべてが記録され

誰もが携帯を持った

曖昧さがなくなったからかな

 


私たちは機械じゃないから

時間に追われ、競わされて

 


正しさと間違いだけの世界で

紋切り型のゴールを目指しても

幸せにはなれない

 


あるはずのない答えを探して

何周も回ってきたけど

 


「時間と神様」を失ってはダメなんだ

 


そうして今、「宗教」の壁にぶつかる

 


いつだったか

「神話を忘れた国は100年以内に滅びる」

という文章を読んだ

 


その時はピンとこなかったけど

今はそうかもしれないと思う


 

そうは思っても、

神話の内容をよくは知らない

 


この国は、おかしなことに

建国の歴史や神話について

 


日本に深く関わりのある宗教について

ちゃんと教えない

 


スピリチュアルや神秘

仏教、神道、キリスト教  



暗号のような情報を詰め込まれるけど

知りたいのはそうじゃない

 


この国では、

宗教はタブー

スピリチュアルもタブー

 


だけど「宗教」のタブーは

考えれば考えるほどおかしい

 


どんな理由があるにしたって

不自然だし、理由にはならない

 


別にこの話のオチは、

最初から最後まで、

どこぞの信者になろうとか

愛国心とかの話ではありません

 

 

この前、バイトをさせてもらった

「しつけ」の本

 


小学校のお受験塾の先生の本

昔、流行ったドラマの監修もつとめた

先生は、戦前生まれの70代男性



わたしの感覚では、

それはちょっと…や、時代錯誤に

思うところもあった。

 


本自体は20年前に既出なので、

コメントしていいと思うけど、

その中にこんな下りがあった。 

 


「宗教と聞いたとたん、ある種の拒否反応を

示す人がいます。しつこい勧誘や、宗教の名を借りた犯罪まがいの霊感商法などにより、

  

『宗教』という言葉に良くないイメージを

抱いているのかもしれません。

非常に残念なことです。

 

宗教『宗』とは心を意味します。

本来、心の教えのことです。」

 


ある種の拒否反応は

わたしにもまだある

 


宗教なんて関係ない、必要ない

と言って生きてきた



そう思いながらも

わたしは、仏教が好きになっていた

  


それは、わたしの出会った仏教が

わたしの見たいものだったから

 


本や映画、旅、瞑想、

京都、奈良、鎌倉…

 


ダライ・ラマ14世、

手塚治の〝ブッダ〟

ごく自然に集まったもの

 

 

時々、子育ては精神修行のように

思えるときがある 

 


人生は人間関係、と思う時もある

 


以心伝心、

馬の耳に念仏、

縁は異なもの味なもの

弘法も筆の誤り

三人寄れば文珠の知恵

釈迦に説法

知らぬが仏

心頭を滅却すれば火もまた涼し

袖すり合うも他生の縁

地獄で仏に会ったよう

天上天下唯我独尊

仏の顔も三度

無用の用

門前の小僧習わぬ経を読む



全て、仏教に関連する、ことわざ

馴染みのある言葉ばかり 

日常的なことばかり


 

昔の人も同じだったんだな…

こういう言葉にほっとする

ことってないだろうか?

 


仏教は処世術のよう

人生のガイドラインのよう

 

 

だけど、絶対は存在しない

「諸行無常」の宇宙の法則

 「仏に逢うては仏を殺せ」 



私は買ったことがないけれど、 

下手な育児本を読むより

よほど役に立つかもしれない 

 


わたしは飲んだことないけど、

抗うつ剤よりも

よほど人生が楽になるかもしれない

 


いつからか、

色々なことを疑いながら

生きてきた気がする

 


そうしていたのは、

自分が弱く傷つきやすかったから

 


でも今は、その頃とは少し

違う見方をするようになった

 


信仰や宗教は、

科学や文明が進化したから

不要になるんじゃない

 


わたしの周りには

神道や神社好きが多い

 


彼らは誰に指図されるでもなく

自ら知識を深め、

好きな時に、自由に神社を巡る


 

右でも左でもない

自然や神秘を愛してるんだと思う

  


無意識に、この国を

愛そうとしてるのかもしれない

 


この国の土着の宗教で

日本人が長い間大切にしてきた心

 

 

神社にお神輿

初詣、七五三、厄除け

受験、安産、祈願

 


その時私たちは、

誰に、何を願っているのだろう?

 


いくら宗教をタブーにしても

私たちは文化として、慣習として

 


個人的なお願いをしに

神社に行っている

 


だって、神社はそこらじゅうに

あるんだもの

 

 

私たちにとって身近で有益で、

心が安らぎ、体を癒すものは

いつも目隠しをされる

 

 

深く考えないように

大事なことに気づかないように

目を覚まさないように

 


私たちから時間を奪い

ネガティヴなイメージを

不安や欲望のタネを蒔いて争いをさせる

 


自分よりも、他人の噂

家族の団欒よりも宿題

免疫よりも予防

信頼よりも監視


 


わたしは本当は全ては

そう難しくできてないと思う

 


不治の病なんてあるのかな?



なぜ宗教を公然と語っては

いけないんだろう

 


すぐそばに、目の前に

誰の心にもあるのに?

 


どうして私たちだけが知らないの?

なぜ教えてくれない?


 

まるで、心や神様を忘れ

日本を捨てなさいと

言われているかのよう

 


わたしの思う神道はもっと

「自然」とか「寛容」

 


好きになったとして、

何に属することもなければ

洗脳もされない

勧誘もされない

 


神道は、多神教で

万物に神が宿るという

経典はないらしい

 


まるで宇宙そのものだし

なんて、フリースタイル‼︎

 


わたしは決して知識は深くないし

それを深めたくてここに

書いてるわけではない

 

 

結局何を切り取り、受け取り

自分がどう関わるでしかない

 


わたしは、仏教徒でも

 

神道や他の何かの信者でもないし


スピリチュアルを

生業にしてるわけじゃないけど

 


今はその世界が

少しわかるような気がするだけ

 


スピリチュアルを受け入れて

シンクロに気づくようになった時

 


「トレイン・スポッティング」でさえ

スピリチュアルに思えた。笑

 


どうやらこの宇宙は

見たいものを見せてくれるらしい

  

 

 「わたしはブッダでさえも疑う」

 


この「疑う」は、絶対と決めつけず

自分で感じること

考えられる、余白の部分

 


何に属するわけでもない

何者でもないわたしが、 



これを話して

得することもないけど

この不自然が柔らげばいい

 


心がある以上、

人は神に通じてる、と思う

 


子どもの頃、誰に教わるでもなく

毎日お祈りをしていた

「どうか喧嘩を止めてください」

 


人は神様にお願いをする時、

自分の本当の願いを

知ろう、思い出そう、とする

 


神様は見えないけど

神様には嘘をつけない

 


真剣な時、危険な時、咄嗟の時

生死を彷徨う時

自分に嘘はつけない

 

 

知りうるのは、自分の心、

心は移ろいやすく、

あっという間に道を踏み外す

 


だから世界には

信仰や、宗教があるんじゃないの?

 


仏教の「諸行無常」や「煩悩即菩提」

という教えは、わたしに勇気をくれたし 

 


わたしの知ってる瞑想は

ゴータマ・ブッダが発見した瞑想だった

 


今は、近所の神社に行くだけで

スッと気持ちが晴れたり、心が安らぐ

初詣は一度も欠かしたことがない

 

 

この神様だけが救う、

この神様じゃなければ、地獄に落ちるとか、

そんなものじゃなくて

  

 

その道は開かれていてほしい

来るもの拒まず、去る者追わずで

あってほしい。

 


例え過ちを犯しても、

悔い改めれば、許してほしい

 


わたしは

好きな時に神社に行き、

好きな時に瞑想をして

好きな時に仏教用語を思い出すけれど、

 


それを咎められたことは

一度もないし

何度も助けられている


 

人を信じるか、自分を信じるか

神様を信じるか

 


どれも欠けてはいけないけど

どれも欠けてしまっている

 


自分は正しい、あいつが悪い

 


私たちが目の敵にする彼らは

気まぐれな私たちよりも

ずっと神様を大切にしているらしい

 

 

彼らの計画は

わたしが生まれる前から

準備されていた

 

 

もみ消し、すり替え、目をそらす

私たちの努力は

いつも踏み潰される

 


目の前が、何度も真っ暗になった

万策つきたか…

 


いや、目が醒めたのかもしれない

 


この宇宙は、

思いと行動の強さによって

集合意識に変化を与えるとしたら?

 


引き寄せ、バタフライ・エフェクト

日本にも「予祝」というものがあった

 

 

私たちの意識が

そこに注がれるほど、

彼らにパワーを

与えてるかもしれない 

 


そうなってほしくない

そうなったらどうしよう 



その意識の中に、

その未来を受け入れかけている?

 


私たちはどこに向かいたの?

誰かを変えようとするほど、

 


じれったくて、歯がゆくて

傷つき、腹立たしくもなる 

 


悪を憎むあまり、

自分の心はドロドロになる

傍観者を恨めしく思う

 

 

本当は何を取り戻したいの?

 


私たち自身が自分と向き合って

目の前の家族や、友人と向き合って

 


真に愛や平和を取り戻していけば

ヒールは必要なくなるかもしれない 

 


神様はどんな姿だろう…

善なのか?悪なのか?

 


きっと、どちらも内包している

全体で調和をとろうとしている?

 


集合意識と言う考えも

すごく腑に落ちる

 


この前読んだ神社の本には

「意思を持った知的生命体」

と書いてあった

 


こちらにとって

どんなに悪でも、

彼らの正義があるのだろう 



彼らが悪であるほど

私たちは、目を醒ます

 


私たちが、愛や平和に目覚めて

神様を思い出したり

時間を取り戻すために

いるのかもしれない

 


私たちが愛に目覚め、

心に耳を傾けて

平和を取り戻せば

その悪も消えるかもしれない

そうであってほしい

 


すべては一人一人の

選択なのかもしれない

すべては繋がっているのかもしれない

こうなったら徹底的に無視して、愛に生きてみよう

普通の幸せ

GW中、ダンナさんと友達が

ベロベロで帰ってきて

その勢いでお店に行き

 


わたしはお腹の調子が悪くて

一滴も飲みませんでしたが

 


夜の雰囲気にのまれて

いつもよりお店が

イケてるような気がして

 


しつこく写真を

載せてしまいました。

 


映像をプロで扱う知人がいるので

わたしがこんなことを

言うのはおこがましいけど、 



写真も、映像も 

嘘ではないけど、

真実でもないなとよく思います

文章もそうですね。

  


翌日ダンナさんは

ひどい二日酔いでした。


  

思えば、GWにあやかって

息子もおやつを食べまくり

  


お店の試食や、外食が続き

家族みんなの食生活が適当すぎて



息子は口内炎ができたり

わたしも食欲がなく

二、三日まともに食べれなかったり

 


その後に飲んだ、お味噌汁が

ほんとに美味しくて

息子は三杯も飲んでくれました。

 


誰にとも言えない

「ありがとう」や「ごめんなさい」

という、言葉が浮かんで


 

それで、これはいよいよ…

立て直さそう、と心底思いました。 

   


わたしの食生活の乱れは

GWより、もっとずっと前からで



あんなに頑張ってた

自然療法や、マクロビも

しばらく距離を置いてました

 

 

わたしにとって、

いつからか、

食べ物はとても大事で

 


それは、

好きな人とおいしいものが

食べられる幸せ

 


嫌なことがあっても

簡単に欲求不満を

満たしてくれるもの

 


だけど、体調を崩して

「何も考えずに食べる」

ことが当たり前じゃなくなってから

 


方向はぐるっと変わって

口に入れるものは厳選

お菓子も手作りしたりで

つづけてました。

  


目先の手間やお金はかかるけど

わたしにはこういうやり方

しかないと思っていたし

  


長い目で見れば

たぶん、何周回っても

それは変わらないと

いつも思ってました。

 


今思えば、それは

信念があったからできたし

  


もっと言えば、

気力と体力で

 


気力と体力を養うための

食養なんだけど、

 


食養を始めて約10年

自分にとっては初めての事態

 


自分の核となる食への

それまでのやり方が

 


自分を健やかに

保つための食養が

 


逆に自分をストイックに

縛り付ける存在に思えて

 


それ以上の

「やらなきゃ」「かくあるべき」

「そんなことどうでもいい」

に初めて、挫折しました。


 

環境の変化も、心境の変化も

激しかった10年で

 


食に限らず

それまで自分を保っていたものは

通用しない、維持できない…

新しいやり方を模索する…

 


「脱皮」と「再生」を

繰り返していたようでした。

 


きっと、それはこれからも

続くと思うけど

 


自分としては、いつも絶えず

どこかで代謝がおきて

変化に適応していた 

つもりでいたけど、

 


ある時、本当にすべてが

どうでもよくなって

心も体もストライキ

 


自分をとりまく

全ての糸がギューっと張り詰めて

プツンと切れてしまいました。  

 

 

心のどこかで

これもまた過ぎさる…と

わかっていたけど


 

その状態からしばらく

抜け出せなくなってました。 

 


たぶん、望んだから

そうなったのだろうけど 

 


やりたいことをやるとか

それ以前に、

何もしたくなく、何もできなく

それは想定外でしたが

 


こうなってしまったからには

一度リセットしよう

止まろう

 


それをやり切ろうとすると

追い込まれる自分

罪悪感に打ちのめされる

 


なぜなら、わたしは独り身じゃなく

小さな子供もいるので

 

 

色々と大荒れだったけど、 

他に方法もなかった

 


そして今回のGWの体調不良や

息子の様子を見て

 


息子の為に買ってきたりんごと

息子の為に作った梅醤番茶を

ついでにわたしも食べて飲んだら、

なんだか元気になった 



そうだこれだった!

という感じで

  


やっと、ここぞという時

というか、家族の為に、

今一度!と思えた。

 


かと言って、

昔のようには頑張れないけど…



とにかく、

その時期は自分のために

梅醤番茶を作らなかったし

 


自分の為だけに、

時に、家族の為にも

お味噌汁の出汁を 

とろうとは思えなくて

 


お母さんになって

色んな方の話を聞いたり

生活を見せてもらい

ブログや雑誌、本を読んだり


 

これまで日本は

お母さんの自己犠牲スタイルが

定着してるけど、 

 

 

自分の親や、親世代を見たり

話を聞かせてもらって

 


それを当たり前に継続するのは、

そろそろ限界だと思うけど

じゃあ、どうすればいいのだろう?

 


こんな話は、

余計なお世話、と思う人は

きっとそのままでいいだろうけど

 


お母さんが自分の為に

自分をケアをする間(ま)が

いるんだといつも思います

 


それは、もちろん時間だし

居場所とか、余裕とか

  


当然、方法は人それぞれで

もしかしたら

一人旅に行っちゃうかもしれないし

 


たった5分の息抜きでも

いいかもしれない

  


わたしの母親は限界まで

頑張っちゃう人で

父親は厳しかったから、

 


もう「お母さん?息してる?」ってくるい

世話しなく動いてる時があって、 


 

わたしが瞑想を知ったあとは、

「呼吸が浅いんだよ」って

いつも思うし、言ってます。 

 



わたしも、〇〇しなきゃに

追われてる時は

ほとんど呼吸を忘れてる

(大げさだけど本当)

 


お母さんが自分のことを

後回しにし続けると

結構なツケがやってくる気がします


 

かといって、あまり道を

踏み外しすぎても

罪悪感でやられる 


 

やっぱり人間は

相対的な生き物なんだな

一人で道を外れるってハード

 


わたしは、極端になりがちだから

今回もつくづく

バランスだなと思いました。


 

そして、意外にも

「普通の幸せ」という「幻想」に

挑戦したくなりました。

この道のりこそ険しい…

 

(この記事は、2017.5.10に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)

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神社で…

一昨日、この地区の相談役と

言われる人に

神社で偶然 会いました。

 


わたしはここに来た時から

ここでやりたいと

思ってることがあって

 


とにかく、その為にその方と

話したいと以前から思ってました。

  

 

わたしは初対面の人に話しかけることは

抵抗がないけど (弱ってる時は別)

  


通りすがりの立ち話も

なんか違うし、Goサインが出なかった。

 


どうやったら

その機会を作れるかな…?

 

 

そう思いながら、他のことで

そこへの気力は失速してて

 


お店まで、車を運転してながら

スーツ姿で自転車に乗る姿を、

何度か見送っていました。

 


今はほとんどしないけど

わたしの身近には、◯◯論的な話や

神◯マニアがいたから



この国の政治と神社との

ズブズブの繋がりとかを

なんとなく知って



ちょっと気が引けてたけど 

最近、神社の本を読んで

なるほど〜と思ったことがあって 

 

 

日記を読んでくれてる

人ならわかってくれると思うけど

 


自分がしっくり来たので

息子を保育園に送った後、

近くの神社に行きました。

 


imagineを、シェアした時に

感じたモヤモヤが晴れなくて…

よし、祈り&行動だ!

 


そしたら、その人がいて!

こ、これは…✨



あれよあれと話が進み

気づけば、この国の話になり

  


「防衛が必要だ、どこの国でも持ってる」

と言われました。



数年前は、

こんなこと誰も言わなかったのに!



この「意識の溝」が、

それを後押ししてると思う

  


わたしは、流れで一応

「日本には原◯が54機もあるから

とか、「◯と◯は実は裏で…」と言うと

 


「それはあなたの考えだ」

と言われました 


 

わたし「そうです…」

男性「あーでもないこーでもない」

  


わたし「枯葉剤は…」

という話を付け加えて、

 


「説得するつもりはありません」

と終わらせました。

 


その男性は頭の回転が早くて、

自分の哲学を持っているような気がした。

 


だけど情報源は、

テレビや新聞かもしれない

 


わたしの話を続けることもできたけど、

 


例え真実であっても、

あの場において、

それ以上は無礼な気がしたし



向かう所は、そこじゃないから

現実がどうこうよりも

「こうなりたい」の話をした

 

 

それに、そのことを全員が

知る必要があるのか、ないのか

話すことが、前向きな行動になるかは、

 


相手の状況やタイミングもあると思う

でも、種は蒔いてきたからね!

 


今日ほどの急展開は初めてだけど、

これまでにもこういう場面はあった

 


父や母にこの手の話をした時も感じた

強い拒否反応

 


こういう時に、これは愛ある行動か?

と自分に問うてみる

 

 

もう一人のおじいさんに

「それで、あんたはどうしたらいいと思う?」

と聞かれ、場を和ませたく(でも本気で)

 


「神頼みです⛩✨」と言った



「そんなの説得力ないわ」笑



「ないですね…😀」

 


その場は解散!

ここは名もない神社だけど

 


わたしのやりたい事も、

一連の話も、この神社の神様は聞いてた!

これもわたしの一つの行動

 


まさかその人がいて、自分が

こんな話をするとは思ってなかった。

やっぱり神様はいると思うな✨



心の中だけで

決着をつけられないから

私たちは行動するのだと思います

  


想像し、行動して、創造する

そこに愛があればいいなって 

 


この国は

お財布を落としても帰ってくる国

まだ…

 


宗教を持たずとも

毎年、神に祈る国

 


最低限の平和をゴールにしていいの?

 


「防衛」なんて、枠の中で

愛や平和や人を「信じる」ことは

できない

 


平和を願うことは、

人を信じることかもしれないな

道のりは長いぞ…

 


(この記事は、2017.4.17に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)

 



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