読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

時間と神様

この国は、

「時間と神様」を奪われてしまった

んじゃないかと思う

 


それを「愛と平和」って

言い方もできるけど、

今はもう少し具体的な話がしたい

 


どうして今だに癌患者や鬱病、

自殺者が増え続けるのだろう? 

 


夏目漱石の「こころ」を読んだとき(遠い昔)

昔の映画や、ドラマを観たとき

自分の親世代、おばあちゃん世代


 

なんでこんなにも違うんだろう…

と思っていた

 


戦争に負けた

欧米化され過ぎた

便利になり過ぎた

たぶん、どれも正解なんだろう


 

わたしは長い間

食と精神を結びつけて

考えていたけど

 


それはまちがいなく、

確実に、影響があるし

食はとても重要

 


だけど…

どんなに健康的な食生活でも

美しい自然の中にいても

 


経済的に豊かでも

健康な体を持っていても

 


それだけでは

愛と平和は手に入らないのかもしれない

 


時間の捉え方は十人十色

いつの世も母親は

忙しいものかもしれない 



でも、流れる時間の何かが違う

ような気がする 

 


時間があればいいと

いうわけでもないけど



心を亡くす、忙しさ、は

どんな善人の心をも飲み込む…

何度もそれを見てきた



デジタル化が進み、すべてが記録され

誰もが携帯を持った

曖昧さがなくなったからかな

 


私たちは機械じゃないから

時間に追われ、競わされて

 


正しさと間違いだけの世界で

紋切り型のゴールを目指しても

幸せにはなれない

 


あるはずのない答えを探して

何周も回ってきたけど

 


「時間と神様」を失ってはダメなんだ

 


そうして今、「宗教」の壁にぶつかる

 


いつだったか

「神話を忘れた国は100年以内に滅びる」

という文章を読んだ

 


その時はピンとこなかったけど

今はそうかもしれないと思う


 

そうは思っても、

神話の内容をよくは知らない

 


この国は、おかしなことに

建国の歴史や神話について

 


日本に深く関わりのある宗教について

ちゃんと教えない

 


スピリチュアルや神秘

仏教、神道、キリスト教  



暗号のような情報を詰め込まれるけど

知りたいのはそうじゃない

 


この国では、

宗教はタブー

スピリチュアルもタブー

 


だけど「宗教」のタブーは

考えれば考えるほどおかしい

 


どんな理由があるにしたって

不自然だし、理由にはならない

 


別にこの話のオチは、

最初から最後まで、

どこぞの信者になろうとか

愛国心とかの話ではありません

 

 

この前、バイトをさせてもらった

「しつけ」の本

 


小学校のお受験塾の先生の本

昔、流行ったドラマの監修もつとめた

先生は、戦前生まれの70代男性



わたしの感覚では、

それはちょっと…や、時代錯誤に

思うところもあった。

 


本自体は20年前に既出なので、

コメントしていいと思うけど、

その中にこんな下りがあった。 

 


「宗教と聞いたとたん、ある種の拒否反応を

示す人がいます。しつこい勧誘や、宗教の名を借りた犯罪まがいの霊感商法などにより、

  

『宗教』という言葉に良くないイメージを

抱いているのかもしれません。

非常に残念なことです。

 

宗教『宗』とは心を意味します。

本来、心の教えのことです。」

 


ある種の拒否反応は

わたしにもまだある

 


宗教なんて関係ない、必要ない

と言って生きてきた



そう思いながらも

わたしは、仏教が好きになっていた

  


それは、わたしの出会った仏教が

わたしの見たいものだったから

 


本や映画、旅、瞑想、

京都、奈良、鎌倉…

 


ダライ・ラマ14世、

手塚治の〝ブッダ〟

ごく自然に集まったもの

 

 

時々、子育ては精神修行のように

思えるときがある 

 


人生は人間関係、と思う時もある

 


以心伝心、

馬の耳に念仏、

縁は異なもの味なもの

弘法も筆の誤り

三人寄れば文珠の知恵

釈迦に説法

知らぬが仏

心頭を滅却すれば火もまた涼し

袖すり合うも他生の縁

地獄で仏に会ったよう

天上天下唯我独尊

仏の顔も三度

無用の用

門前の小僧習わぬ経を読む



全て、仏教に関連する、ことわざ

馴染みのある言葉ばかり 

日常的なことばかり


 

昔の人も同じだったんだな…

こういう言葉にほっとする

ことってないだろうか?

 


仏教は処世術のよう

人生のガイドラインのよう

 

 

だけど、絶対は存在しない

「諸行無常」の宇宙の法則

 「仏に逢うては仏を殺せ」 



私は買ったことがないけれど、 

下手な育児本を読むより

よほど役に立つかもしれない 

 


わたしは飲んだことないけど、

抗うつ剤よりも

よほど人生が楽になるかもしれない

 


いつからか、

色々なことを疑いながら

生きてきた気がする

 


そうしていたのは、

自分が弱く傷つきやすかったから

 


でも今は、その頃とは少し

違う見方をするようになった

 


信仰や宗教は、

科学や文明が進化したから

不要になるんじゃない

 


わたしの周りには

神道や神社好きが多い

 


彼らは誰に指図されるでもなく

自ら知識を深め、

好きな時に、自由に神社を巡る


 

右でも左でもない

自然や神秘を愛してるんだと思う

  


無意識に、この国を

愛そうとしてるのかもしれない

 


この国の土着の宗教で

日本人が長い間大切にしてきた心

 

 

神社にお神輿

初詣、七五三、厄除け

受験、安産、祈願

 


その時私たちは、

誰に、何を願っているのだろう?

 


いくら宗教をタブーにしても

私たちは文化として、慣習として

 


個人的なお願いをしに

神社に行っている

 


だって、神社はそこらじゅうに

あるんだもの

 

 

私たちにとって身近で有益で、

心が安らぎ、体を癒すものは

いつも目隠しをされる

 

 

深く考えないように

大事なことに気づかないように

目を覚まさないように

 


私たちから時間を奪い

ネガティヴなイメージを

不安や欲望のタネを蒔いて争いをさせる

 


自分よりも、他人の噂

家族の団欒よりも宿題

免疫よりも予防

信頼よりも監視


 


わたしは本当は全ては

そう難しくできてないと思う

 


不治の病なんてあるのかな?



なぜ宗教を公然と語っては

いけないんだろう

 


すぐそばに、目の前に

誰の心にもあるのに?

 


どうして私たちだけが知らないの?

なぜ教えてくれない?


 

まるで、心や神様を忘れ

日本を捨てなさいと

言われているかのよう

 


わたしの思う神道はもっと

「自然」とか「寛容」

 


好きになったとして、

何に属することもなければ

洗脳もされない

勧誘もされない

 


神道は、多神教で

万物に神が宿るという

経典はないらしい

 


まるで宇宙そのものだし

なんて、フリースタイル‼︎

 


わたしは決して知識は深くないし

それを深めたくてここに

書いてるわけではない

 

 

結局何を切り取り、受け取り

自分がどう関わるでしかない

 


わたしは、仏教徒でも

 

神道や他の何かの信者でもないし


スピリチュアルを

生業にしてるわけじゃないけど

 


今はその世界が

少しわかるような気がするだけ

 


スピリチュアルを受け入れて

シンクロに気づくようになった時

 


「トレイン・スポッティング」でさえ

スピリチュアルに思えた。笑

 


どうやらこの宇宙は

見たいものを見せてくれるらしい

  

 

 「わたしはブッダでさえも疑う」

 


この「疑う」は、絶対と決めつけず

自分で感じること

考えられる、余白の部分

 


何に属するわけでもない

何者でもないわたしが、 



これを話して

得することもないけど

この不自然が柔らげばいい

 


心がある以上、

人は神に通じてる、と思う

 


子どもの頃、誰に教わるでもなく

毎日お祈りをしていた

「どうか喧嘩を止めてください」

 


人は神様にお願いをする時、

自分の本当の願いを

知ろう、思い出そう、とする

 


神様は見えないけど

神様には嘘をつけない

 


真剣な時、危険な時、咄嗟の時

生死を彷徨う時

自分に嘘はつけない

 

 

知りうるのは、自分の心、

心は移ろいやすく、

あっという間に道を踏み外す

 


だから世界には

信仰や、宗教があるんじゃないの?

 


仏教の「諸行無常」や「煩悩即菩提」

という教えは、わたしに勇気をくれたし 

 


わたしの知ってる瞑想は

ゴータマ・ブッダが発見した瞑想だった

 


今は、近所の神社に行くだけで

スッと気持ちが晴れたり、心が安らぐ

初詣は一度も欠かしたことがない

 

 

この神様だけが救う、

この神様じゃなければ、地獄に落ちるとか、

そんなものじゃなくて

  

 

その道は開かれていてほしい

来るもの拒まず、去る者追わずで

あってほしい。

 


例え過ちを犯しても、

悔い改めれば、許してほしい

 


わたしは

好きな時に神社に行き、

好きな時に瞑想をして

好きな時に仏教用語を思い出すけれど、

 


それを咎められたことは

一度もないし

何度も助けられている


 

人を信じるか、自分を信じるか

神様を信じるか

 


どれも欠けてはいけないけど

どれも欠けてしまっている

 


自分は正しい、あいつが悪い

 


私たちが目の敵にする彼らは

気まぐれな私たちよりも

ずっと神様を大切にしているらしい

 

 

彼らの計画は

わたしが生まれる前から

準備されていた

 

 

もみ消し、すり替え、目をそらす

私たちの努力は

いつも踏み潰される

 


目の前が、何度も真っ暗になった

万策つきたか…

 


いや、目が醒めたのかもしれない

 


この宇宙は、

思いと行動の強さによって

集合意識に変化を与えるとしたら?

 


引き寄せ、バタフライ・エフェクト

日本にも「予祝」というものがあった

 

 

私たちの意識が

そこに注がれるほど、

彼らにパワーを

与えてるかもしれない 

 


そうなってほしくない

そうなったらどうしよう 



その意識の中に、

その未来を受け入れかけている?

 


私たちはどこに向かいたの?

誰かを変えようとするほど、

 


じれったくて、歯がゆくて

傷つき、腹立たしくもなる 

 


悪を憎むあまり、

自分の心はドロドロになる

傍観者を恨めしく思う

 

 

本当は何を取り戻したいの?

 


私たち自身が自分と向き合って

目の前の家族や、友人と向き合って

 


真に愛や平和を取り戻していけば

ヒールは必要なくなるかもしれない 

 


神様はどんな姿だろう…

善なのか?悪なのか?

 


きっと、どちらも内包している

全体で調和をとろうとしている?

 


集合意識と言う考えも

すごく腑に落ちる

 


この前読んだ神社の本には

「意思を持った知的生命体」

と書いてあった

 


こちらにとって

どんなに悪でも、

彼らの正義があるのだろう 



彼らが悪であるほど

私たちは、目を醒ます

 


私たちが、愛や平和に目覚めて

神様を思い出したり

時間を取り戻すために

いるのかもしれない

 


私たちが愛に目覚め、

心に耳を傾けて

平和を取り戻せば

その悪も消えるかもしれない

そうであってほしい

 


すべては一人一人の

選択なのかもしれない

すべては繋がっているのかもしれない

こうなったら徹底的に無視して、愛に生きてみよう

普通の幸せ

GW中、ダンナさんと友達が

ベロベロで帰ってきて

その勢いでお店に行き

 


わたしはお腹の調子が悪くて

一滴も飲みませんでしたが

 


夜の雰囲気にのまれて

いつもよりお店が

イケてるような気がして

 


しつこく写真を

載せてしまいました。

 


映像をプロで扱う知人がいるので

わたしがこんなことを

言うのはおこがましいけど、 



写真も、映像も 

嘘ではないけど、

真実でもないなとよく思います

文章もそうですね。

  


翌日ダンナさんは

ひどい二日酔いでした。


  

思えば、GWにあやかって

息子もおやつを食べまくり

  


お店の試食や、外食が続き

家族みんなの食生活が適当すぎて



息子は口内炎ができたり

わたしも食欲がなく

二、三日まともに食べれなかったり

 


その後に飲んだ、お味噌汁が

ほんとに美味しくて

息子は三杯も飲んでくれました。

 


誰にとも言えない

「ありがとう」や「ごめんなさい」

という、言葉が浮かんで


 

それで、これはいよいよ…

立て直さそう、と心底思いました。 

   


わたしの食生活の乱れは

GWより、もっとずっと前からで



あんなに頑張ってた

自然療法や、マクロビも

しばらく距離を置いてました

 

 

わたしにとって、

いつからか、

食べ物はとても大事で

 


それは、

好きな人とおいしいものが

食べられる幸せ

 


嫌なことがあっても

簡単に欲求不満を

満たしてくれるもの

 


だけど、体調を崩して

「何も考えずに食べる」

ことが当たり前じゃなくなってから

 


方向はぐるっと変わって

口に入れるものは厳選

お菓子も手作りしたりで

つづけてました。

  


目先の手間やお金はかかるけど

わたしにはこういうやり方

しかないと思っていたし

  


長い目で見れば

たぶん、何周回っても

それは変わらないと

いつも思ってました。

 


今思えば、それは

信念があったからできたし

  


もっと言えば、

気力と体力で

 


気力と体力を養うための

食養なんだけど、

 


食養を始めて約10年

自分にとっては初めての事態

 


自分の核となる食への

それまでのやり方が

 


自分を健やかに

保つための食養が

 


逆に自分をストイックに

縛り付ける存在に思えて

 


それ以上の

「やらなきゃ」「かくあるべき」

「そんなことどうでもいい」

に初めて、挫折しました。


 

環境の変化も、心境の変化も

激しかった10年で

 


食に限らず

それまで自分を保っていたものは

通用しない、維持できない…

新しいやり方を模索する…

 


「脱皮」と「再生」を

繰り返していたようでした。

 


きっと、それはこれからも

続くと思うけど

 


自分としては、いつも絶えず

どこかで代謝がおきて

変化に適応していた 

つもりでいたけど、

 


ある時、本当にすべてが

どうでもよくなって

心も体もストライキ

 


自分をとりまく

全ての糸がギューっと張り詰めて

プツンと切れてしまいました。  

 

 

心のどこかで

これもまた過ぎさる…と

わかっていたけど


 

その状態からしばらく

抜け出せなくなってました。 

 


たぶん、望んだから

そうなったのだろうけど 

 


やりたいことをやるとか

それ以前に、

何もしたくなく、何もできなく

それは想定外でしたが

 


こうなってしまったからには

一度リセットしよう

止まろう

 


それをやり切ろうとすると

追い込まれる自分

罪悪感に打ちのめされる

 


なぜなら、わたしは独り身じゃなく

小さな子供もいるので

 

 

色々と大荒れだったけど、 

他に方法もなかった

 


そして今回のGWの体調不良や

息子の様子を見て

 


息子の為に買ってきたりんごと

息子の為に作った梅醤番茶を

ついでにわたしも食べて飲んだら、

なんだか元気になった 



そうだこれだった!

という感じで

  


やっと、ここぞという時

というか、家族の為に、

今一度!と思えた。

 


かと言って、

昔のようには頑張れないけど…



とにかく、

その時期は自分のために

梅醤番茶を作らなかったし

 


自分の為だけに、

時に、家族の為にも

お味噌汁の出汁を 

とろうとは思えなくて

 


お母さんになって

色んな方の話を聞いたり

生活を見せてもらい

ブログや雑誌、本を読んだり


 

これまで日本は

お母さんの自己犠牲スタイルが

定着してるけど、 

 

 

自分の親や、親世代を見たり

話を聞かせてもらって

 


それを当たり前に継続するのは、

そろそろ限界だと思うけど

じゃあ、どうすればいいのだろう?

 


こんな話は、

余計なお世話、と思う人は

きっとそのままでいいだろうけど

 


お母さんが自分の為に

自分をケアをする間(ま)が

いるんだといつも思います

 


それは、もちろん時間だし

居場所とか、余裕とか

  


当然、方法は人それぞれで

もしかしたら

一人旅に行っちゃうかもしれないし

 


たった5分の息抜きでも

いいかもしれない

  


わたしの母親は限界まで

頑張っちゃう人で

父親は厳しかったから、

 


もう「お母さん?息してる?」ってくるい

世話しなく動いてる時があって、 


 

わたしが瞑想を知ったあとは、

「呼吸が浅いんだよ」って

いつも思うし、言ってます。 

 



わたしも、〇〇しなきゃに

追われてる時は

ほとんど呼吸を忘れてる

(大げさだけど本当)

 


お母さんが自分のことを

後回しにし続けると

結構なツケがやってくる気がします


 

かといって、あまり道を

踏み外しすぎても

罪悪感でやられる 


 

やっぱり人間は

相対的な生き物なんだな

一人で道を外れるってハード

 


わたしは、極端になりがちだから

今回もつくづく

バランスだなと思いました。


 

そして、意外にも

「普通の幸せ」という「幻想」に

挑戦したくなりました。

この道のりこそ険しい…

 

(この記事は、2017.5.10に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)

f:id:Jco:20170510144751j:plain

神社で…

一昨日、この地区の相談役と

言われる人に

神社で偶然 会いました。

 


わたしはここに来た時から

ここでやりたいと

思ってることがあって

 


とにかく、その為にその方と

話したいと以前から思ってました。

  

 

わたしは初対面の人に話しかけることは

抵抗がないけど (弱ってる時は別)

  


通りすがりの立ち話も

なんか違うし、Goサインが出なかった。

 


どうやったら

その機会を作れるかな…?

 

 

そう思いながら、他のことで

そこへの気力は失速してて

 


お店まで、車を運転してながら

スーツ姿で自転車に乗る姿を、

何度か見送っていました。

 


今はほとんどしないけど

わたしの身近には、◯◯論的な話や

神◯マニアがいたから



この国の政治と神社との

ズブズブの繋がりとかを

なんとなく知って



ちょっと気が引けてたけど 

最近、神社の本を読んで

なるほど〜と思ったことがあって 

 

 

日記を読んでくれてる

人ならわかってくれると思うけど

 


自分がしっくり来たので

息子を保育園に送った後、

近くの神社に行きました。

 


imagineを、シェアした時に

感じたモヤモヤが晴れなくて…

よし、祈り&行動だ!

 


そしたら、その人がいて!

こ、これは…✨



あれよあれと話が進み

気づけば、この国の話になり

  


「防衛が必要だ、どこの国でも持ってる」

と言われました。



数年前は、

こんなこと誰も言わなかったのに!



この「意識の溝」が、

それを後押ししてると思う

  


わたしは、流れで一応

「日本には原◯が54機もあるから

とか、「◯と◯は実は裏で…」と言うと

 


「それはあなたの考えだ」

と言われました 


 

わたし「そうです…」

男性「あーでもないこーでもない」

  


わたし「枯葉剤は…」

という話を付け加えて、

 


「説得するつもりはありません」

と終わらせました。

 


その男性は頭の回転が早くて、

自分の哲学を持っているような気がした。

 


だけど情報源は、

テレビや新聞かもしれない

 


わたしの話を続けることもできたけど、

 


例え真実であっても、

あの場において、

それ以上は無礼な気がしたし



向かう所は、そこじゃないから

現実がどうこうよりも

「こうなりたい」の話をした

 

 

それに、そのことを全員が

知る必要があるのか、ないのか

話すことが、前向きな行動になるかは、

 


相手の状況やタイミングもあると思う

でも、種は蒔いてきたからね!

 


今日ほどの急展開は初めてだけど、

これまでにもこういう場面はあった

 


父や母にこの手の話をした時も感じた

強い拒否反応

 


こういう時に、これは愛ある行動か?

と自分に問うてみる

 

 

もう一人のおじいさんに

「それで、あんたはどうしたらいいと思う?」

と聞かれ、場を和ませたく(でも本気で)

 


「神頼みです⛩✨」と言った



「そんなの説得力ないわ」笑



「ないですね…😀」

 


その場は解散!

ここは名もない神社だけど

 


わたしのやりたい事も、

一連の話も、この神社の神様は聞いてた!

これもわたしの一つの行動

 


まさかその人がいて、自分が

こんな話をするとは思ってなかった。

やっぱり神様はいると思うな✨



心の中だけで

決着をつけられないから

私たちは行動するのだと思います

  


想像し、行動して、創造する

そこに愛があればいいなって 

 


この国は

お財布を落としても帰ってくる国

まだ…

 


宗教を持たずとも

毎年、神に祈る国

 


最低限の平和をゴールにしていいの?

 


「防衛」なんて、枠の中で

愛や平和や人を「信じる」ことは

できない

 


平和を願うことは、

人を信じることかもしれないな

道のりは長いぞ…

 


(この記事は、2017.4.17に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)

 



 f:id:Jco:20170417142709j:plain

今を生きる

f:id:Jco:20170416122640j:plain


わたしにとって、

偉人も一般人も、子供も先生も

ミュージシャンも、映画監督も

宗教も、哲学も


 

絶対的な存在はありません

限りなくそういう人はいます

 

 

100%がありえないのは

すべてが変化しているからで

 


そんなことはありえないと

思っています

 


自分も、信じるけど、疑うし

 


変化のスピードが

凄まじい世界に生きてる気がします

 


価値観が変化していくことこそ

人生なのかもしれません

 


今この瞬間を感じること

 


わたしは、引き寄せを信じています

たぶん、John  Lennonは

それを知っていたと思うのです。

 


それに気づいてから、あらゆる場面で

〝imagine〟引用してきました。



それが、最近、今までにない

違和感を感じた。

〝imagine〟の世界観を押し通すより



その変化を嗅ぎとることが

わたしにとっては、大事なんです。

 


たぶん、その時感じたものは

〝imagine〟の歌詞にある世界観では、



カバーできない、拭えない、

「不安や恐怖 」が

増しているのかもしれないと感じたこと

 


その後、スピリチュアルをセンスという

言葉に置き換えて、日記を書きました。 

 

 

〝夢と狂気の王国〟という

スタジオジブリのドキュメンタリー映画

の中の、宮崎 駿の言葉を引用しました。


http://jco.hateblo.jp/entry/2017/04/14/103649



たぶん、それをスピリチュアルと

定義することは重要ではなく

 


スピリチュアルを信じられない人に

その感覚に気づいてほしいんです。

 


そして、これって誰でも

持ってるよねって言いたかった

些細なことだけど



わたしは、あの映画を観て

あぁ…この人はこうやって、

今を感じ取ってるんだなと感動しました。



そして、その感覚は

自分の感覚とも

近い気がして嬉しかったし

 


わたしに足りない自己管理力を見て、

身が引き締まったし、

 


わたしも、わたしなりに

整えていけたらいいなと思いました。

 


宮崎 駿は自分の考え、感覚を

信じていながらも、疑っている

自問自答がハッキリと見てとれたし、

 


変化を感じ、受け入れようと

その時間を保ち続けている


  

宮崎 駿の持つ矛盾、闇、孤独や

完璧主義、理想主義の周りへの影響

 


映画の中の、映像や、音楽や、猫や

セリフで埋め尽くさない「間」があって


 

メッセージを余白として残している

素晴らしい映画です。



そして、子供の頃から、

この年になっても、たくさんの影響を

与えてくれる存在に出会えたことが

嬉しかった

 


子供の頃より、息子ができてから

今が1番、ジブリ作品を見ている

 


近年の作品はどんどん、

そのメッセージがわかりづらくなってる 



でも、宮崎 駿も始めからわかってて

作ってるわけじゃないんだ



今を感じ、形にする 

ああでもない、こうでもない 



疑ってかかる、でもなく、

何があっても、信じ抜く、

でもなくて

 


信じていたけれど、

なんか違うかも…を許せる部分

  


疑っていたけど、

信じてみように変われる部分 

 


ヒラメキや違和感を感じれば

アップデートさせるだけでいい

 


自分の好きを選ぶ以外、

方法なんてあるのでしょうか?


(この記事は、2017.4.16に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)


 

f:id:Jco:20170415184031j:plain


3.11の後

サヴァイバルや自給自足のヒントが

ほしくて、 



自然食のカフェに

外国人活動家の

講演会に話を聞きに行きました


 


畑で採れた無農薬の

野菜を食べてます

土に触れなさい

トイレは手作りしました


 


流暢な日本語でスライドショーに

写真を映し、丁寧に解説を加え

説明してくれる

 


愛と平和に満ちた暮らし

限りなく資本主義に頼らない

限りなく自給自足に近い暮らし


 

だけど、その内容の

ほとんどは忘れてしまった

 


そして、

わたしに最も印象に残ってる

場面というか、

その時の空気感があって



彼女が話し終わり、歌を歌い

質問コーナーになって

次々にみんなが質問をし



「これで最後の質問にします」

 


一人で参加したわたしも

勇気を出して手を挙げてみた

 



わたしが聞いたのは、

完結に言えば、



「どうしても、どうしても

かかってしまうお金は

どうしてるんですか?」

  


わたしは決して意地悪で

聞いたんじゃなくて、



純粋にそれが

一番知りたかっただけ…

 


生活の知恵を出して

工夫して暮らしているのはよくわかった 



だけど、それでもかかって

しまうお金はどうしてるのだろう?

  


自給自足を想像してみた時に、

いつもぶつかる壁は

そこだったから 

 


わたしの大よその予想では、

彼女は本も出しているらしいし

この講演会だってギャラはあるだろう

 


そういうことを話して

くれるのかなと思った

 


だけど、わたしがその質問を

口にした瞬間、場が凍りついた…

  


彼女がとても動揺し、

私を警戒してるようにさえ思えた




そして、彼女は私に

「街を出なさい」と言った

 



え〜〜〜!!!

そして、ガーン((((;゚Д゚)))))))

だった。。

 


だって、彼女が話すその場所は

そのカフェは、大都会、東京!の

それも恵比寿だよ!

 


そのカフェの素敵なオーナーは

都会にオアシスを守るように

頑張ってるのに…

 


当時はわたしも都会で暮らしてて

サヴァイブしていく為の

ヒントがほしかった

 


彼女はそこが日本の都会で

あることはよくわかってる 

 


それなのに、その答えは

用意してなかったんだ…

 


完全にタブーだった…

NGワードだった…

 

 

でも、わたしには

悪意なんてなかったし

 


おかしな空気にしてしまったことに

私の方が狼狽えてしまった 




質問コーナーが終わって、

みんなでご飯を食べましょうと 



席を移動した時に

立ち尽くすわたしの所に

 


数人が、一人ずつ、こっそりと、

声をかけてくれた

 


「本当にそこですよね…」

「わたしもそれが気になってました」

確かそんな言葉だった

 


日本はタブーや

NGワードが多すぎる

 


それについて、公的な場で

議論してはいけないという

暗黙のルール

 


今タブーになりつつあるのは

◯◯論に スピリチュアル 

 


◯◯論 vs スピリチュアル

スーパーエリート vs  ◯◯論

スピリチュアル vs スーパーエリート

団塊の世代 vs ◯◯論

敢行農業 vs 自然農法

独身 vs 既婚&子持ち (違う?いや違わない)

 



宗教、野球、あとなんだっけ?

 


ずっとそのルールに従ってたし

わかるけど、、

 



でも、それってなんで!?

日本はそれが多すぎると思う!

 


インドなんか、日常口にするワードに

スピリチュアルが多すぎて

話さない方がマイノリティーだし

 


アメリカのアカデミー女優だって

スピ系アレルギーな人が聞いたら

 


アナフィラキシーショックでも

起こしそうな本出してる

 


ていうか、みんなが大好きな

マイケルだって、ボブだって…



これが、「謎の下から目線」じゃないの?

 



だって「ここ日本だし」とか、

この期に及んでなしだよね

 


それを、話すことができなくて



サヴァイバルとか

愛とか平和とか

どうやってそこに向かうの?

どうやって戦争はなくなるの?

 


そうやって敵対する

その心に潜むものはなんだ? 

 


それをダメだと言う

心の奥底に潜むものはなんだ?

 


わたしは結局、感情論だと思う

 


John Lennonの〝imagine〟

 


一昨日かな…?

Facebookに日記を書いた時、

一緒に動画も載せた



なんでだろう…

心がモヤモヤした

今までにない違和感が残った

 


これまで何度もシェアしたり

歌詞を引用してきたけど

こんなことは初めてだった

 

 

自分が不安なのかもしれない

だけど、それだけじゃない

前は、みんなが、大げさだなって

言ってる気がした

 


今は、そんなの説得力がない!

そんなんで不安は消えない!

と言ってる気がする

 


いくらそれを知ってもムリ

嫌なものは嫌!

それはわたしにもまだあるけど

 

 

だいたい何かに強く反発したり

腹を立てている時は 

 


その対象を

よく知らないことが多くて

 

  

結果をすぐに求め

白黒ハッキリさせる

二元論で片付ける

 


自分と違う立場の人間を

拒否しつづける限り

これは終わらない

 


そうじゃなくて、

一度まっさらな所から

ゼロからスタートして



どうしてそれが嫌なのか

一度、自分のドロドロした

感情をのぞいてみたら

何かがわかるかもしれない

 


結果、好きにはなれないけど、

極力、関わりたくないけど

存在や発言の自由を認める



そういう覚悟なしに

世界平和なんてありえないと思う…


(この記事は、2017.4.15に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)


imagine

わたし、頑張ってない人なんて

いないと思うんです

 


頑張ってないっぽい人を

頭に思い浮かべて

 


もっと頑張れよ〜とか

身近な人に頑張れよ!とか

そんなこと思うことも

久しくなかったし、 

 

 

むしろみんな頑張りすぎ

みんな休もうよって

言ってきたし

 


あんまり真剣に考えてなかった

だけかもしれないんですけど、 


これって偽善でも

なんでもなくって

 


人生って、人それぞれに

それなりに厳しいというか、


 

それぞれに限界を試すように

課題を突きつけられてる

と思いました。

 


それはたぶん使命だと

思うんですけど、 


世の中には

一見、あんなやつのどこが?

って人もいるし、 


常識って、枠にハメれば

ダメ人間代表みたいな

人もいるけど、

 


人それぞれに魂を

持っていて、 


その魂は、その人にあった、

使命に挑戦するように

 


あらゆる試練を目の前に

引き起こしてくると思ってて

 


だから、それに向かうのも

それから逃げるのも

どっちも大変で 

 


たぶん、どっちが大変かって

わかんないけど、

 


逃げる方がツライんじゃないか

って思うんです

 


逃げるのがダメって

言ってるんじゃありません

 


わたしも散々逃げてきたし


例えば、本当はこうしたいって

気持ちがあるのに、 

環境的にできない時とか、


 

そしたら、そういう状況の時に

誰かに、あーしろとか、

こうした方がいいとか言われたり

 


そういうのって 

ありがたいこともあるけど

 


大体はやんなっちゃうし、 

誰も説教なんかされたくない

 


わたしは子どもの頃から

父親に説教されまくってたので、

結構平気なんですけど

 


問題なのは、

相手の話を聞かずして、

相手のことを知らずに…

 


ジェネレーションギャップ

って言葉があるけど、

 


この溝を埋めるのかなり難しくて

こちらを信用してもらう為には

相当な労力と時間がかかります。

 


そこに上下や、力関係を

常に持ち込まれたら

スタートにも立てない。

 


人の心は

こんなにもバラバラなのかって

思うんです。 

 


噛み合ってない…

みんな疲れてる

みんなイライラしてる

 


どちらかが聞き役になって

噛み合ってると錯覚するけど 

 


みんながそれぞれの本音を

ぶつけたら、

かなりバラバラなんだと思う

 


30年前には重宝されたものが

跡形も無くなって

 


10年前に欲しくて

仕方なかったものがゴミになって


3年前に世界を熱狂させた人が

今は忘れ去られて


去年の流行に誰も見向きもしない

  


そういうものの速度が

インターネットで180℃くらい変わって


変化の速度は

今や価値観や意識にも到達して、

 


これまでわたしたちを縛っていた

「常識」って曖昧なものに

満足してる人なんて誰もいなくて 


 


昨日ありがたかったものに

今日は見向きもしない

 


これって赤ちゃんには毎日おこる。

たくさんの刺激を受けて、

毎日違う顔を見せてくれる

 


それくらい、価値観を

揺すられるような現象が

世界中でおこってるように思えます。

少なくとも私には…


わたしの場合は、

さまよったり、手放したり、

確信したり!

 


人の意識に共通するのは

もはや漠然としたものだけ

 


不安、悲しい、ムカつく

楽しい、嬉しい、面白い、とか

 


そんなものだって

一時間も保てなかったり

 

 

同じ空間にいたって、

それすら共有してるのかもわからない

 


これまでの価値観や常識は

誰が作ったのか

それはただの暗黙のルールで 


わたしたちの人生に

なんの責任も保証もない


そんなつまらないものに

私たちは日本人は

どれだけ振り回されてきたんだ


 

この顔でこの体でこの頭で

送る人生って、これっきり 

 


この時代に生きるのもこれっきり

 


あの親とか、あのお兄ちゃんとか

お姉ちゃんとか、妹とか弟も

 


このメンバーで送る人生は

これっきりなのだよ!

 


目に見えるものだけ

信じてたらいいのか?

 


この国は狂ってるけど

まだそれは現実になってないから

絶望したり、諦めちゃダメだよね!?

  

 


諦めて、何もしないのは 

心に不安や恐怖を抱えてるから

一番それを引き寄せる

 


わたしたちはそれに慣れすぎて

すぐそっちに引っ張られるけど、 

 


それを踏み潰して、愛を取り戻して、

人を信じる為に行動するしかない 

それ以外に何がある?

 


方法もきっとバラバラだ!

 


愛って偽善じゃなくて!

スピリチュアルは現実だし! 

究極の精神の自立!

 


imagine は究極の引き寄せだよ。

この曲は戦争したい時には

かからなくなるんだよ

 

(この記事は、2017.4.15に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)


宮崎駿のセンス

f:id:Jco:20170414115537j:plain


嫌いな人は読まなきゃいんだけど

嫌いな人にこそ伝えたい

 


最近日記でも、このことばかり

言ってるくせに

 


わたしは人に向かって

「スピリチュアル」と言う

自分に、まだ馴染めないんです

 

 

もっといい言葉ないかなって

考えてた時に、

「センス」かなって思いました

 


センスがいい…ってそれです。

感性、感じること

 


Sense

 

五感の意味。

転じて、美的感覚や感性のこと。

才能と似た意味


 

Six  Sence

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚

を超えた、第六感



スピリチュアルはセンスだし、

感じること

live、生、生きること

そのものだと思ってます。



そういう意味で、

わたしの思うスピリチュアルとは

こういうこと…

 

********


僕は自分の土俵を 

 


毎日たわしで

マッサージをして

体操をして

 


シャワーを浴びてから

ゴミ拾いをに出て

 


コーヒーを飲みに

行って…って

  


それから戻ってきて

飯を食うっていうね

 


その…なんと3時間ぐらい

かかるんですよ

  


もっとかかるかも

知れない…

 


それが僕の生活の 

基礎なんですよ

 


そこで見てる

範囲のもので

 


世界を

判断してるんですよ

  


ひひひ…

 


そこで、

その街が 様子が 

 


どんどん変わって

きたなとか

  


こいつは一体

どうしたんだろう

とかね

  


そういうのを

見てるんですよ

 


物価がどうなってん

だろうとか

  


肉眼だけですよ

 

 


 宮崎   駿

 

2013年 公開

「夢と狂気の王国」より 


(この記事は、2017.4.14に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)