神社で…

一昨日、この地区の相談役と

言われる人に

神社で偶然 会いました。

 


わたしはここに来た時から

ここでやりたいと

思ってることがあって

 


とにかく、その為にその方と

話したいと以前から思ってました。

  

 

わたしは初対面の人に話しかけることは

抵抗がないけど (弱ってる時は別)

  


通りすがりの立ち話も

なんか違うし、Goサインが出なかった。

 


どうやったら

その機会を作れるかな…?

 

 

そう思いながら、他のことで

そこへの気力は失速してて

 


お店まで、車を運転してながら

スーツ姿で自転車に乗る姿を、

何度か見送っていました。

 


今はほとんどしないけど

わたしの身近には、◯◯論的な話や

神◯マニアがいたから



この国の政治と神社との

ズブズブの繋がりとかを

なんとなく知って



ちょっと気が引けてたけど 

最近、神社の本を読んで

なるほど〜と思ったことがあって 

 

 

日記を読んでくれてる

人ならわかってくれると思うけど

 


自分がしっくり来たので

息子を保育園に送った後、

近くの神社に行きました。

 


imagineを、シェアした時に

感じたモヤモヤが晴れなくて…

よし、祈り&行動だ!

 


そしたら、その人がいて!

こ、これは…✨



あれよあれと話が進み

気づけば、この国の話になり

  


「防衛が必要だ、どこの国でも持ってる」

と言われました。



数年前は、

こんなこと誰も言わなかったのに!



この「意識の溝」が、

それを後押ししてると思う

  


わたしは、流れで一応

「日本には原◯が54機もあるから

とか、「◯と◯は実は裏で…」と言うと

 


「それはあなたの考えだ」

と言われました 


 

わたし「そうです…」

男性「あーでもないこーでもない」

  


わたし「枯葉剤は…」

という話を付け加えて、

 


「説得するつもりはありません」

と終わらせました。

 


その男性は頭の回転が早くて、

自分の哲学を持っているような気がした。

 


だけど情報源は、

テレビや新聞かもしれない

 


わたしの話を続けることもできたけど、

 


例え真実であっても、

あの場において、

それ以上は無礼な気がしたし



向かう所は、そこじゃないから

現実がどうこうよりも

「こうなりたい」の話をした

 

 

それに、そのことを全員が

知る必要があるのか、ないのか

話すことが、前向きな行動になるかは、

 


相手の状況やタイミングもあると思う

でも、種は蒔いてきたからね!

 


今日ほどの急展開は初めてだけど、

これまでにもこういう場面はあった

 


父や母にこの手の話をした時も感じた

強い拒否反応

 


こういう時に、これは愛ある行動か?

と自分に問うてみる

 

 

もう一人のおじいさんに

「それで、あんたはどうしたらいいと思う?」

と聞かれ、場を和ませたく(でも本気で)

 


「神頼みです⛩✨」と言った



「そんなの説得力ないわ」笑



「ないですね…😀」

 


その場は解散!

ここは名もない神社だけど

 


わたしのやりたい事も、

一連の話も、この神社の神様は聞いてた!

これもわたしの一つの行動

 


まさかその人がいて、自分が

こんな話をするとは思ってなかった。

やっぱり神様はいると思うな✨



心の中だけで

決着をつけられないから

私たちは行動するのだと思います

  


想像し、行動して、創造する

そこに愛があればいいなって 

 


この国は

お財布を落としても帰ってくる国

まだ…

 


宗教を持たずとも

毎年、神に祈る国

 


最低限の平和をゴールにしていいの?

 


「防衛」なんて、枠の中で

愛や平和や人を「信じる」ことは

できない

 


平和を願うことは、

人を信じることかもしれないな

道のりは長いぞ…

 


(この記事は、2017.4.17に書いたものです。

まちがって複数のブログを

開いていたので、1つにまとめました)

 



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